おじさんの本棚から取り上げる18冊目の本は、
重松 清さんの『ステップ』です。
2020年に山田孝之主演で映画化もされたようですね。
妻に先立たれ、1歳半の女の子を一人で育てることになった「シングルファーザー」と娘との10年間を描いた作品です。
結婚三年目、三十歳という若さで、妻は逝った。あまりにもあっけない別れ方だった。
重松 清 作 『ステップ』 中公文庫 裏表紙のあらすじより
男手一つで娘・美紀を育てようと決めた「僕」。喪失の痛みを抱えたまま迎えた初登園、葛藤続きの小学校、義両親との微妙な距離感……。もう、ダメかもしれない。心が潰れそうになりながら、強く、やさしくなっていく「のこされた人たち」の十年を描いた物語。
巻末の「文庫本のためのあとがき」で、元々この物語を描き始めた時の想いが書かれています。
妻を亡くしたシングルファーザーが子育てに悪戦苦闘しながら、新しい恋に向かって一歩づつ足を踏み出していく、そんな再出発のドラマを描きたかった。と同時に、人は「永遠の不在」をどう受け容れていくのかという、若い頃から何度も挑んできた(そのたびに力不足を痛感してきた)モティーフが浮かび上がってくれればいい、と思っていた。
シングルファーザーの「僕」は娘の成長の過程で、何人かの女性と出会います。
彼女たちは、それぞれ個性的な魅力を備えた素敵な女性です。
そんな女性にだんだん惹かれていく自分の気持ちに気づきながらも、亡くなった妻のことを忘れられずにいる。
そんな迷いの中でどのように新しい一歩を踏み出していくのか、それもこの作品の読みどころです。
このところ取り上げる本に家族ものが多いような気がしますね。
どうも、小さな子供が一生懸命我慢してるのは、無条件で泣けてしまうんです。
最近、そういう物語をおじさんの心が求めているのでしょうか?
では、いつものようにあらすじから始めましょう。
あらすじ
ケロ先生
母親が亡くなって1年、娘の美紀は保育園の二歳児クラスに通うことになった。
美紀にとって、もちろん初めての保育園。
その二歳児クラスを受け持ってくれるのが「ケロ先生」と子供たちから慕われている20代の女性。
ケロ先生も5歳の時に母親をガンでなくし、男手一つで育てられた。
だから美紀の置かれた状況がよくわかるので、他の子供たち以上に面倒を見てくれていた。
母親をもの心つく前に亡くし、「母親」というものを知らない美紀は、ケロ先生に母性を感じていく。
クリスマス行事の練習で、ケロ先生を独り占めできないと美紀は拗ねたりする。
そんな時、父親の「僕」は母親の不在が美樹に寂しい思いをさせていることに胸を痛めた。
そして「僕」も次第にケロ先生に好意を持ち始めるが・・・。
妻が亡くなって、まだ1年。それ以上の想いに進むことはなかった。
もっとも、ケロ先生にも既に付き合っている男性「タイソー先生」がいて、結婚と同時に別の保育園に移ることが決まっていた。
恋が始まっていたわけではないので、失恋ではないが、「僕」は少し寂しさを感じたのだった。
ライカでハロー・グッバイ
美樹が5歳になったひな祭りに、義父母の意向でカメラマンに記念写真を撮ってもらうことになった。
妻の実家では何かあると、義父が昔から付き合いのある近所の写真館で家族写真を撮っていた。
その写真館の主人の代わりにカメラマンとしてやってきたのが、主人の娘の礼香だった。
礼香は二十代半ばくらいで、3日前まで海外にいたらしい。
ぎっくり腰の父親の代わりに彼女が撮影をすることになったという。
義父母は孫娘の可愛らしい姿を収めようと、「新しい晴れ着」と「7段飾りのひな人形」をサプライズで用意していた。
しかし、その豪華な「サプライズ」を目にした、礼香はなぜが機嫌を損ねたように見えた。
彼女は、
3日前まで遠い国の難民キャンプにいた。戦火で家を焼き払われ、ふるさとを追われたひとびとの姿を、カメラに収めていた。
重松清 『ステップ』中公文庫 より
難民キャンプに命からがら逃れて来て、食料や衣類にも困窮している人々を多く見てきた。
「豪華なサプライズ」のために使われた「贅沢」で、現地のどれほどの人々を救うことができるか。
それを思うと、礼香はやり場のない怒りを覚えずにはいられなかった。
正義感のために、日本の現実に違和感を感じる礼香だったが、その真っ直ぐさに僕は共感を持つ。
そんな彼女に、「日本であれどこであれ子供の笑顔は輝いている」を気づかせてあげる。
だが彼女はまた、次の海外の地に旅立って行った。
残念ながら、この手紙が届く頃には、わたしはまた海外です。子どもたちの笑顔に会ってきます。でも、ニッポンのガキンチョの笑顔も捨てたもんじゃないって、美紀ちゃんに会ってわかりました。パネルの笑顔最高でしょ?
重松清 『ステップ』 中公文庫
その手紙が添えられていたパネルには、
「頬に涙の痕を残して洟を少し垂らした美紀の笑顔」が輝いていた。
あじさい
美紀も小学一年生になった。
保育園への送り迎えがなくなり時間に余裕ができた「僕」は、駅のカフェでコーヒーを飲むことが日課になった。
そして、そのカフェにお気に入りのアルバイト店員ができた。
広瀬さんという二十歳前後の女性だ。
特に個人的な会話を交わすわけではないが、亡くなった妻の学生時代の写真にどことなく似ている。
彼女と交わす「店員と客」としての会話だけでも、「胸にほんのりと灯りを灯してくれる」のを感じた。
一方、美紀の小学校では母の日に「お母さんの絵」を描くことになった。
物心つく前に母を亡くした美紀には、「お母さんの顔」の記憶が無い。
学級担任は、「写真をみて描くようにと」言うが、美紀は写真では上手く描けずにいた。
そんな中僕は、偶然を装って広瀬さんと美紀を会わせた。
そして、母の日の授業参観で教室の後ろの掲示板に貼られた「お母さんの絵」の中に美紀の絵を見つける。
教室の後ろの掲示板に貼られたお母さんの絵の中で、ひときわ輝いているのは、美紀の絵だ。誰がなんと言おうともそうだ。なにしろ、このお母さんはあじさいの花園の中にいる。頭の上に天使の輪を浮かべて、にっこり笑っている。
重松清 『ステップ』 中公文庫 より
美紀にそんな絵を描かせてくれた広瀬さんも、また次の劇団の公演に旅立っていった。
サンタ・グランパ
朋子の実家に小学校の同窓会の案内状が届いた。
卒業から二十五年目の節目に、初めて同窓会を開くとのことだった。
幹事を務める同級生たちは、朋子の死を知らずに案内状を送ったらしい。
朋子の死を知った幹事たちは、「同窓会で「黙祷」を捧げたいから、その時だけでも同席してもらえないか」と提案してきた。
僕は、なんだが「同窓会のセレモニー」のように感じて一旦は参加を辞退する。
その頃、義母と留守番していた美紀が泣き出して、泣き疲れて寝てしまうと言う出来事があった。
美樹が泣き出した理由は、義母に「朋子の思い出話」をせがんでいるうちに、話が尽きてしまったことだった。
もっと、「お母さんの想い出を聞きたい」とせがむ美紀に、義母が話せる話が底をついてしまったのだ。
これからは、朋子の新たな思い出が増えることは無い。
僕も知らない、「小学生の頃の朋子」の想い出を持っている同級生たちのことが浮かんだ。
同窓会の二次会で、朋子と仲の良かった同級生に集まってもらって、当時の思い出を話してもらうことになった。
美紀を中心に、朋子の両親も同席して、小学校の友人たちは、小学一年生から六年生までのいろいろなエピソードを聞かせてくれた。
僕も知らない「朋子の小学時代の想い出」が、美紀の「お母さんの新しい想い出」に加わった。
一方で義父も、手元に残っていない朋子の他の写真が知り合いのところに残っていないか問い合わせをしていた。
それで偶然、以前の同僚が撮っていた8ミリフィルムが見つかった。
当時独身だったその同僚を、クリスマスパーティーに招いた時の映像だ。
この映像を義父は美紀へのクリスマスプレゼントのサプライズとして準備をしていたのだ。
写っているのは、美紀と同じ小学三年生の「朋子」。
自分と同じ年の「ママ」を見られることを美紀はとても喜んだ。
壁に掛けられたスクリーンに、クリスマスケーキを頬張る少女が映し出された。画面はカラーだったが全体に色あせていて、音もついていない。だが、不思議とそれが逆に、手を伸ばせば少女の頬に触れられるような距離の近さを感じさせる。
重松清 『ステップ』 中公文庫
そして、スクリーンに映し出された「ママ」が呼びかけた言葉、音声は無いがその口の動きは・・・。
それは、クリスマスが見せた「奇跡」のようだった。
ナナさん
美紀は五年生になった。
僕も、四十歳になり、サラリーマン人生の後半に差し掛かろうとしていた。
そして、気になる女性もできた。
五歳年下の彼女は、僕の仕事のパートナーでもあると同時に、ランチタイムに美紀の話をするときには先生役になる。
重松清 『ステップ』 中公文庫
そんな女性ならではの視点で、美紀の気持ちを察して教えてくれるパートナーだった。
ナナさんは、二歳になる息子を痛ましい事故で亡くしていた。
それがきっかけで、夫とも離婚することになってしまった。
「パパ」に新しい人ができたことを美紀はなんとか受け入れようとする。
僕は、ナナさんと一緒に「息子」の墓参りに行き、新しい家族を作ろうと決意する。
読後感
父親は、「本当の父親」になることができるまで、ある程度時間が必要なものだと思います。
女性は、新しい命の身籠ったところから既に「母親」なのだと思います。
一方で男性は、子供が生まれた瞬間「ああ俺の子供が無事に生まれてくれたんだ」という感動はあるものの、「父親になった」という実感はいまいちよくわからないというのが本音ではないでしょうか?
母親の圧倒的な存在にただオロオロしながら、少しづつ父親らしくなっていくのでしょう。
子供が一歳半のころなら、父親はまだまだ半人前かもしれません。
そんな中突然、シングルファーザーとして娘を育てることになったら困惑しかないと思います。
周りの人々に支えられ、時には世間の偏見にあらがいながら娘と過ごした十年間、「僕」は立派な父親でした。
そんな「僕」の心の支えは、いつも語りかけれくるような「妻の写真」と「娘の成長」。
そして、時々で関わりを持つ「優しくて個性的な魅力を持った」女性たち。
娘の美紀も十年間で、思いやりのある優しい子に育ってくれました。
十年の時を経て、「僕」も自身の「再出発」を果たすまで再生することができました。
この作品は、「人が人を想いやる、優しい気持ち」に触れることができる物語でした。
なお、映画の方は、amazon prime video で見ることができます。
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