おじさんの本棚から紹介する4冊目の本は、イワン・ツルゲーネフ 『初恋』です。
突然のロシア文学ですが、この作品との出会いはちょっと変わっています。
中学時代に漫画の「愛と誠」(作画:ながやす巧、原作:梶原一騎)に夢中になっていました。
その中で影の女番長「高原由紀」が愛読していたのがこの『初恋』です。
実は彼女がいつも持ち歩いているこの本には、ある秘密があるのですが・・・。
それは、今回の趣旨からそれるので省略します(笑)。
漫画の影響で読んだというと、「何だかなー」という感じがするかもしれませんが、
出会い方はどうであれ名作であることに変わりありません。
ご存知の方も多いと思いますが、ツルゲーネフは、ドストエフスキー、トルストイ、と並ぶロシアの文豪ですしね。
16歳の少年が経験した「初恋」の初々しく、活きいきとした心理描写は、ツルゲーネフならではの素晴らしさがあると思います。
あらすじ
物語は、3人の紳士が互いに自分の初恋の話をすることになったところから始まる。
一人目の男は、最初にして最後の恋は「六つの頃で、相手は自分の乳母」だという。
二人目の男はこの話題を切り出した「主人」なのだが、現在の妻が初めての恋でさして面白くもない話なので、他の二人の話を聞いてみたかったのだと打ち明ける。
最後に残された一人の「あまり世間なみの部類には入らない」という初恋について他の二人は興味を示すが、
彼は話をまとめるのが苦手だということで、話を書き留めたものを日を改めて読み上げることになった。
それが、16歳の少年が初めての恋を知り、揺れ動く心のありさまをほろ苦い想い出として描いた、『初恋』という物語になっていく。
それは、主人公の「わたし」が16歳の夏の出来事だった。
その夏、「わたし」は両親が借りた別荘で過ごすことになる。
彼は、大学の入学準備を迎えていたが、ろくに勉強もせずのんびり過ごしていた。
その別荘は、「円柱の並んだ木造の地主屋敷と、さらに二棟の平べったい離れから成っていた。」
そんなある日、その離れの一つに公爵夫人家族が越してきた。
公爵夫人といっても、そんな離れに越してくるくらいなので裕福であるはずもなく、金策に困り、訴訟沙汰にもなるような「貧乏貴族」だった。
公爵夫人自身もあまり育ちが良いとは思えない、みすぼらしい外見をしていた。
夫人は娘の「ジナイーダ」と一緒に越してきたのだが、「わたし」は4人の青年に取り囲まれ「女王」のように振る舞う彼女の姿を垣間見る。
そのあまりに魅惑的な振る舞いに、「わたし」は「驚きと嬉しさのあまり、あやうく声を立てんばかりに」なってしまう。
彼の初恋が生まれた瞬間だ。
わたしは何もかも忘れて、そのすらりとした体つきや、ほっそりとした頸の根や、綺麗な両手や、白いプラトークの下からのぞいているやや乱れた淡色の金髪や、その半ば眠った利口そうな眼もとや、その睫毛や、その下にある艶やかな頬などを、むさぼるように見つめていた。・・・
『初恋』イワン・ツルゲーネフ (神西清 訳)
やがて、「わたし」もジナイーダの取り巻きの4人の青年たちに加わることになる。
あいかわらず、彼女はまわりの男達を手玉にとるように、女王様のような振る舞いを続けるが、男達は彼女に「弄ばれる」ことがむしろ嬉しくて仕方がない。
なかでも、「わたし」は特別扱いされ「お小姓」としてジナイーダに仕えることになる。
男達を弄んで楽しんでいるジナイーダだが、一方の本心では自分を平伏させるような強い存在に憧れを持っていたようだ。
ときとして、「加虐」と「被虐」は表裏一体になっている場合がある。
彼女の深層心理にもそのような傾向があったのかもしれない。
そして、身近に「彼女を平伏させる」ような存在が現れてしまった。
「わたし」は、ジナイーダが「その男」に何か懇願しているのを偶然目撃してしまう。
手を差し伸べる彼女に対して、「その男」はあろうことか、乗馬用の鞭を一閃する。
あれほど他の男達には高飛車に振る舞っていた彼女が、ただ鞭打たれた傷に口つけるのを目にして、
「わたし」は彼女がその男に「本当の恋」をしていることに気づいた。
これが情熱というものなのだ!・・・ちょっと考えると、たとえ誰の手であろうと・・・よしんばどんな可愛い手であろうと、それでぴしりとやられたら、とても我慢はなるまい、憤慨せずにはいられまい!ところが、一旦恋する身になると、どうやら平気でいられるものらしい。・・・それを俺は、・・・それを俺は・・・今の今まで思い違えて・・・
『初恋』 イワン。ツルゲーネフ (神西清 訳)
こうして、16歳の少年の一夏の「初恋」は、ほろ苦い想い出になった。
ケン少年の読後感
漫画の「愛と誠」の流れで読んだので、この作品を読んだのは中学生の頃です。
ケン少年がまず、惹かれたのは主人公が初めてジナイーダを垣間見るシーンでの、彼女の描写です。
すらりとした淡い金髪の少女が、取り巻きの男達の中でひときわ華麗に振る舞っている。
その情景がありありと浮かんできて、
「こんな少女が目の前に現れたら、そりゃ恋に落ちるよ」と想像していました。
いや、多分主人公と一緒に彼女に見惚れたんだと思います。
ジナイーダが、取り巻きの青年達には女王様のように高飛車に振る舞い、翻弄している一方で、
雑に扱われている男達がむしろ嬉しそうにしているのが恋するものの弱さを象徴しているようにも思いました。
ケン少年は「これが、惚れた弱みか!そういえば太宰の『カチカチ山』でも兎に恋する狸は愚かだったな」などど恋について考えたりしました。
※今なら、「どMか!」と突っ込むところですが(笑)
そんなジナイーダは、一方では自分を平伏される「強い存在」に憧れを抱いていました。
そして、身近にそんな存在が現れてしまいます。
彼女は今までと立場が逆転し、恋に服従する少女へと変わっていきます。
その彼女の心の変化を、主人公は気づいてしまい、自分の恋する人が他の誰かを思い詰めていることに苦しみます。
好きな人が自分以外の誰かに夢中になっていく過程を目の前で見続けることはどれほど切ないものでしょうか。
ここでもケン少年は、主人公に感情移入していきます。
さらに、そのジナイーダの想い人とは・・・。
主人公にとって最も辛い相手でした。
そして、「あらすじ」の最後でも引用したシーンで、主人公は一夏の「初恋」が完全に終わったことを知るのです。
この時、ケン少年の「ジナイーダへの恋」も静かに終わりを告げました。
思春期・青年期の「夏の想い出」は何かほろ苦いものが多いような気がします。
それが、記憶の底に眠っているせいか、夏の終わりはいつも物悲しい気分になります。
この夏、あなたに良い想い出ができますように。。。
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