おじさんの本棚から取り上げる6冊目の本は、
ダニエル・キース『アルジャーノンに花束を』です。
この本は、「人にとっての幸せとは何か」、「他者を見下すことで相対的に優位に立とうとする人間の醜さ」、「科学に許される領域はどこまでが正解なのか」など、色々考えさせられる物語です。
それでいて、物語の終盤でこのタイトルの意味がわかった時、何とも言えない切なさと、これで良かったのかもしれないという思いが交錯しました。
それは、読み手である自分が試されているような、そんな読後感を与える傑作です。
あらすじ
タイトルで使われている「アルジャーノン」はこの物語の主人公の一人だが、人間ではない。
「アルジャーノン」は実験用のマウスの名前である。
彼(彼女?)は何らかの外科的処置を受け、通常のマウスを大幅に超える知能を持っている。
もう一人、人間の主人公がチャーリー・ゴードン。
彼は、知的障害者で年齢は32歳だが、幼児の知能しか持ち合わせていない。
チャーリーは知り合いのパン屋で雇われているが、掃除くらいしかできる仕事はない。
その傍らで、大学の「知的障害成人センター」に通い、「キニアン先生」から読み書きなどを教えてもらっていた。
その「キニアン先生」がある日チャーリーを、大学の心理学部長と脳外科医に引き合わせる。
彼らは、チャーリーの頭をよくしてくれるというのだ。
日頃から「かしこくなりたい」と思っていたチャーリーは彼らの提案を受け入れることにした。
彼らは、チャーリの変化を記録するために、彼に日記のような「けいかほうこく」を書くように指示する。
ある日、チャーリーはマウスの「アルジャーノン」と迷路を早く抜け出す競争をするが、アルジャーノンには全くかなわない。
「大学の先生達」は、アルジャーノンは手術によって特別頭が良くなったマウスなので、チャーリーも手術を受ければ、アルジャーノンに勝てるようになるという。
これがきっかけになり、「かしこくなりたい」チャーリは、手術を受けることに同意する。
手術後、「けいかほうこく」は、すぐに「経過報告」になり、彼が変化していくスピードを感じさせる。
「経過報告」の内容は日毎に論理的になり、使用する語彙も豊富になっていく。
それは、チャーリーの知能が急激に高まっていくことを表していた。
そんな中で次第にチャーリーは、手術前には気づかなかったさまざまなことに気づくようになる。
パン屋の仲間たちはみんな彼のことが好きで、いつも楽しそうに笑っていると思っていた。
しかし、「かしこく」なっていくうちに、彼らはチャーリーを馬鹿にして笑っていただけだったと気づく。
「かしこく」なるということは、知らなくて良いことまで知ってしまうことでもあるのだ。
チャーリーの知能向上は目覚ましく、天才の域にまで達してしまう。
あまりに急激な知能の向上には、人格の形成がついていけないのかもしれない。
「かしこく」なって周囲の人間の悪意に気づく一方で、チャーリー自身も歪んだ人格を身につけ始める。
そのせいで、周囲の人々も徐々に彼から離れていった。
倫理観の形成には、やはり時間と経験も必要なのだろう。
そんなある日、彼はアルジャーノンの異変に気づく。
天才の域に達したチャーリーには、アルジャーノンの変化が何を意味するものかがわかった。
そして、それはチャーリー自身の今後を暗示するものでもあった。
そして、最後の「けいかほうこく」に残された二つの「ついしん」。
この「ついしん」は、読後もしばらくはこの物語から離れることを許してくれない。
ケン青年の読後感
この作品を読んだのは大学生の頃です。
大学時代、私は下宿にテレビを置かなかったので、部屋ではほぼ読書をして過ごしていました。
大学生の時が人生で最も本を読んだ期間です。
この物語を読んだケン青年は、読後しばらく「ぼうっ」としていました。
チャーリーが歩んだ数奇な運命を通して、
「人にとっての幸せ」とは何なんだろう。
知らなければ良かったと思うことには、どう対処すれば良いのだろう。
他人との関係は、なぜこんなにも人を傷つけ、苦しみを与えることがあるのだろう。
科学を利用して、人が関わって良い「領域」とはきっと無制限ではないはずだ。
そんなような考えが次から次へと、頭に浮かんで、どの問題から手をつけて良いのかわからなくて
ただ「ぼーっ」とするしかなかったんだと思います。
そして、最後の「けいかほうこく」に残された二つの「ついしん」を読んで、
自分では「賢い」とは思っていても、大切なことを忘れていることに気づかされたような気がして。
只々、アルジャーノンに花束を供えたくなったのです。
この作品も世界的に有名は名作なので、読んだ方も多いと思いますが、ひょっとしてまだの方のためにネタバレを避けて核心部分には触れずにおきました。
まだ読んでいない「あなた」は、ぜひ手に取ってみてください。
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