おじさんの本棚から取り上げる、11冊目の本は、住野よる『また、同じ夢を見ていた』です。
みなさんは、「住野よる」というとまず思い浮かぶのは『君の膵臓をたべたい』でしょうか。
なんといっても代表作ですし、とても良い作品ですよね。
私も大好きな物語のひとつです。
住野よるさんの素晴らしいところは、会話文の巧さだと思いますが、それが良くあらわれている作品だと思います。
彼の作品から一つ選ぶとしたら、私は、この『また、同じ夢を見ていた』をあげます。
この物語のテーマは、「幸せとは何か?」です。
そして、人生には無数の選択肢があって、そのひとつひとつの選択の結果が人生を構成するということを確認することでもあります。
とにかくオススメの本なので、未読の方にはこの記事の先を読む前に、是非読んでもらいたいです。
今回初めて読む方に、注意事項をお伝えします。
- 通勤電車で読んだり、ジムでエアロバイクを漕ぎながら読むのは避けた方がいいです。
- 手元にいつもより多めのティシューペーパーを用意しておきましょう。
それでは、いつものように簡単なあらすじから始めます。
あらすじ
主人公の少女「私」の名前は「小柳奈ノ花(こやなぎなのか)」。
とても賢い子供だが、そのため少し普通の子供とは違った発想をしがちなところがある。
本人は自分自身が正しいと思った通りに行動しようとするが、それが他人の価値観とズレてしまうことには無頓着でいる。
「ピーナッツ」シリーズで覚えた「人生とは、○○のようなもの」というウィットを効かせた言葉が口癖のちょっと変わった少女だった。
そんなおませな少女が、優しい先生と3人の女性、1匹の「女の子」の猫に導かれるように物語は展開していく。
ひとみ先生
「私」のクラス担任のひとみ先生は、そのちょっと風変わりな少女の良き理解者の一人だった。
持ち前の独自な価値観で私が常識はずれな行動をとっても、無闇に叱るのではなく、なぜその行動が相応しくないかを優しく諭してくれる先生だった。
このひとみ先生が国語の授業で、「幸せとは何か?」をクラスで考えることを課題にする。
私は、この課題を隣の席の「桐生くん」とペアになって考えることになった。
この「幸せとは何か?」という問いが、この物語の主題になっている。
アバズレさん
私は、学校から帰ると必ず出かける先がある。
自宅から堤防づたいに歩いた先にあるクリーム色のアパートに住む「アバズレさん」のところだ。
なぜ、「アバズレさん」という変わった呼び名なのかというと、表札に「アバズレ」と殴り書きのように書かれていたので、私はそれがその綺麗なお姉さんの名前だと思ったからだ。
もちろん私は、その頃はその「アバズレ」という意味を知らなかった。
アバズレさんは私が訪ねると、いつも飲み物やお菓子でもてなしてくれる。
そして、私が帰った後で仕事に出かけるらしい。
どんな仕事か私が聞くと「季節を売る仕事」とアバズレさんは答えた。
私は「季節を売る」なんて素敵な仕事に違いないと思った。
アバズレさんはとても頭の良い人で、私が疑問に思うことにいつも的確に答えてくれる。
そんなアバズレさんに、私は憧れのような気持ちを抱いていた。
アバズレさんはいつも私のことを「お嬢ちゃん」と呼ぶ。
だから、私の名前は知らなかったし、あえて聞くこともなかった。
おばあちゃん
私の家の近くの丘、木々の間を登っていった先にある木でできた大きな家。
そこに住んでいるのがもう一人の私の友達の「おばあちゃん」。
おばあちゃんの家には、アバズレさんのアパートに寄った後に立ち寄ったりしていた。
おばあちゃんは手作りのお菓子を出してくれて、本の話を聞かせてくれる。
私は、学校であったことや、アバズレさんとの会話などを話したりしていた。
おばあちゃんは私のことを「なっちゃん」と呼ぶ。
私は、学校の課題で幸せについて考えることになったことも話した。
そしておばあちゃんはどんな時が幸せかと聞くと、
「一人で暮らしている寂しい私のところになっちゃんが来てくれることとか。だけど難しいわね。考えておくよ」と答えた。
南さん
ある日、おばあちゃんの家に行く途中の別れ道で、おばあちゃんの家に行くのとは別の道に進んでみると、私はその先に「四角い石の箱」のような建物を見つけた。
そしてそこで、手首をカッターナイフで切ろうとしている女子高生に出会う。
彼女の制服の刺繍の文字から私は、その女子高生が「南さん」だと思い、そう呼ぶようになる。
南さんは話し方はぶっきらぼうだが、悪い人ではないと私は感じとった。
南さんが隠したノートとペンが気になった私は、
「なぜ絵を描いている人はそれを隠すのかしら。うちのクラスにもいるのよ、とっても素敵なことなのに、絵を描いているのを知られるのが嫌な子が」と聞いた。
その子とは、隣の席の「桐生くん」のことだった。私は彼が描く絵が好きだったが、桐生くんはクラスメイトにからかわれるのがいやで絵を描いていることを隠していた。
だから、南さんがノートを隠したのも同じと考えたのだ。
しかし、南さんがノートに書いていたのは、絵ではなく物語だった。
本を読むのが好きな私は、その物語をぜひ読ませてくれるように南さんにお願いする。
そうして、私は南さんのいるその四角い石の塊のような建物に通うようになった。
私は南さんにも課題の幸せの意味を聞いてみた。
お母さんとの喧嘩、そして南さんとの約束
国語の課題の「幸せとは何か?」について考えた内容は、授業参観で発表することになった。
参観に来てくれる両親の前で誰よりも素晴らしい発表をしようと、私は楽しみにしていた。
しかし、急な仕事のために参観に行けなくなったと告げた母親に、私は感情を爆発させてしまう。
頭では仕事だから仕方がないと理解しながらも、感情を抑えられなかった。
翌日、南さんのところに行くと、前に聞いた幸せの意味について、南さんの答えを教えてくれた。
自分がここにいていいって、認めてもらえることだ
それが、南さんの「幸せ」の答えだった。
ただ、幸せの意味についての発表をする授業参観には両親は来られなくなったから、私にとってその答えはもうどうでも良いように思えていた。
母親とそのことで喧嘩したので、家に帰りたくないと言い出した私の言葉で南さんは何か重大なことに気づいたようだった。
南さんは、突然教えてもいない私の名前を呼んで、
「奈ノ花・・・・・・、一つ、私と、約束しろ」
「今から帰ったら、絶対に親と仲直りをしろ」
「ずっと後悔することになるんだぞ」
「私は、もう謝ることもできない。だから、頼む」と涙を流しながら懇願した。
南さんの涙の意味とは、ずっと後悔することになるとは・・・。
さらに南さんは「いいか人生とは、自分で書いた物語だ」と言う。
その意味は、
推敲と添削、自分次第で、ハッピーエンドに書きかえられる。いいか、別に喧嘩しちゃいけないんじゃない。でも喧嘩することと仲直りがセットだってこと、あの時の私にはわからなかったんだ。
そう南さんは言った。
4つの「また、同じ夢」
南さん、アバズレさん、おばあちゃんに、そして私も「また、同じ夢を見ていた」と目覚める朝がある。
それぞれどんな夢だったのかは、具体的には触れられない。
あらすじとしては途中になりますが、それはこの物語に直接触れていただきたいから。
あえてこの先は、触れずにおこうと思います。
読後感
あらすじを途中で切り上げたのは、書くのに疲れたわけではありません(笑)。
物語の中で展開される、一つの人生が「推敲、添削」される過程を追体験して欲しいからです。
あらすじでは、南さんの気づきについて少し触れましたが、アバズレさんも、おばあちゃんもやがて気付くことがあります。
この3人はそれぞれ形や程度は違うけれど、何かが損なわれてしまった人生を送っていました。
それは、おそらく過去の選択による結果なのでしょう。
人生は選択の繰り返しです。時には間違ったカードを引いてしまうこともあるでしょう。
ただ、その直後には「失敗だった」と思える選択も、後々「あれで良かったんだ」と思えることもあるものです。
それに、一度正解のルートから外れてしまっても、次の選択でルートに戻ることもできるかもしれません。
3人3様に繰り返してきた「また、同じ夢」をみて目覚める朝。
彼女たちはどんな気持ちで目覚めたのでしょうか?
そして登場人物たちが見つけたそれぞれの「幸せの意味」とは。
物語の終盤で、私は、「また、同じ夢」から目覚めます。
その目覚めた世界が、南さん、アバズレさん、おばあちゃんと奈ノ花が一緒に手に入れた「ルート」だったのだと思います。
物語の中で縦横に張られた伏線が回収され終わった時、
初めに手元に用意したティシューは役に立ちましたか?
未読の方はぜひ一度手に取ってみてください。
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