おじさんの本棚から取り上げる13冊目の本は、
二宮敦人 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』です。
あなたの余命は半年ですーある病院で、医師・桐子は患者にそう告げた。死神と呼ばれる彼は、「死」を受け入れ、残りの日々を大切に生きる道もあると説く。だが副院長・福原は奇跡を信じ最後まで「生」を諦めない。対立する二人が限られた時間の中で挑む戦いの結末とは?究極の選択を前に、患者たちは何を決断できるのか?それぞれの生き様を通して描かれる、眩いほどの人生の光。息を呑む衝撃と感動の医療ドラマ誕生。
二宮敦人 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』TO文庫 裏表紙あらすじ より
私がこの本を読んだのは、2017年でした。
タイトル通り医療ものの物語ですが、患者の命との向き合い方に独特の倫理観を持つ医師「桐子」と患者とのやり取りから、自身の命を主体的に生きる意味について考えさせられる作品です。
あらすじ
第一章 とある会社員の死
発病
病気とは無縁な人生を送ってきた浜山雄吾にとって、大病院はまるで異世界だった。
二宮敦人 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』
そんな浜山に医師から告げられた検査結果は、「急性骨髄性白血病」だった。
初めは、単なる仕事疲れからくる体調不良だと思った。
発熱したことで心配した妻に促されて受診しには来たが、薬をもらって帰るだけのつもりだった。
それなのに、突然「白血病」と告げられ、午後の大切なプレゼンもキャンセルして、緊急入院することになってしまった。
浜山は、「まさか自分がそんな病気になってしまうとは。」「これから自分はどうなるのか?」と不安と困惑に包まれてしまう。
そんな浜山の困惑をよそに、主治医の「赤園」は敢然と病気と闘う治療方針を説明する。
それは、副院長の「福原」の「どんな困難な治療でも絶対に諦めず奇跡を起こす」という強い方針によるものだった。
出口の見えない治療と苦痛
白血病からの「寛解」を目指す浜山の治療は激烈な苦痛を伴うものだった。
浜山はそんな苦痛に耐え、なんとか「寛解」に至ったのだが、それでも再発を避けるための治療はづづくと赤園から告げられる。
主治医の赤園からは、今後の治療方針の選択肢が提示された。
おおまかに分けて二つの方法があります。一つ目は地固め療法をしてから退院していただき、様子を見る方法。もう一つは造血幹細胞移植です。
二宮敦人 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』
提案の一つ目「退院して様子を見る」としても、浜山の「白血病の型」は再発可能性が高いという。
もし、再発すれば治療は最初からやり直しになりまた同じ苦痛を受けることになる。
さらには二度目の化学療法では同じ抗がん剤が効きにくくなるリスクもあるという。
造血幹細胞移植(骨髄移植)を選択すれば、移植前に一旦自身の骨髄を破壊する必要があり、移植手術が成功しても「生着」しない可能性もある。
うまく生着したとしても、移植した白血球が浜山の体を異物として認識して攻撃する可能性もある。
どの選択肢にも保証はなく、全てのリスクをクリアしていかなければ完治には至らない。
途方に暮れる浜山は、病室の隣のベッドにいた同じ白血病の老人の言葉を思い出す。
その老人は、医師の「桐子」との面談の後、治療をすることから降りて先日退院していった。
一つアドバイスだ。どうしようもなくなったら、皮膚科の桐子という医者に面談を申し込んでみろ。
二宮敦人 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』
老人は浜山にそう言った。
患者の中で「死神」というあだ名で呼ばれる桐子。
しかし、老人は「わしは、名医だと思うね」と告げて病院を後にしたのだった。
桐子との面談
どの選択肢も、簡単に選ぶことなどできない。途方に暮れた浜山は、気がつくと桐子への面談を申し込んでいた。
取り乱す浜山に対して、桐子は冷静に言う。
診断さえついてしまえば、やることは決まっています。白血病であればまず骨髄穿刺をして、型に応じた化学療法で寛解を目指す。同時進行で予後不良因子を確認し、造血幹細胞移植をするか、しないかを判断。この流れは患者が誰であろうと、基本的には変わりません。ベルトコンベアに乗せられた製品のように、決まったラインを流されていくのです。だから、人によっては忘れてしまうんですよ。自分が人間であることをね。
二宮敦人 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』
自分の命に主体的に向き合うこともせず、ただ「ベルトコンベアに乗って」延命のために治療を続けることは果たして正しいのだろうか?
桐子は重ねて言う。
自ら死を受け入れることができた時、人は死に勝利したと言えませんか。
二宮敦人 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』
桐子との面談で、浜山は病気と闘う覚悟を決めた。
たとえどれだけリスクがあったとしても、完治して妻や子供と共に生きる可能性に賭けたのだ。
そのために、造血幹細胞移植を受けることを決めた。
そして、手術に向けた化学療法で、想像以上の苦痛に耐えた浜山だったが・・・。
読後感
ストーリーの冒頭では、「桐子」という医師が、とても冷淡な人間のように思われます。
しかし、彼の言い分を聞いているうちに、
「医者として打てる手があるうちは決して諦めず、奇跡を起こす」というのは医者の側のエゴではないかと思えてきました。
副院長の福原の考え方がまさにそうです。
長年の経験から、絶望的だと思われる状態から奇跡的に回復する場合は確かにあると。
だから、医者は最後まで諦めてはいけないというのが福原の信念です。
福原のその考えにも一理あるとは思います。
けれどやはりそれは、患者が自身の命と主体的に向き合うこととは相容れない考え方のように私は思います。
現代医療のできる限りの「ベルトコンベアー」に乗せられて、機械的に治療の段階を進めていく。
完治する見込みがなくても延命のための治療が延々と続く。
それは、患者にとって本当に望む生き方と言えるのでしょうか?
桐子は決して「治療を放棄して死を選択する」ことが正しいと言っているわけではありません。
「治療を継続して病と闘うことを選択する」にしても、
「治療を中断して、たとえ短くても死までの時間を自分らしく生きる」にしても、
大切なのは、患者自身が「自らの命」を、「死に方」を、
主体的に選択することだと、桐子は考えていると思います。
冷静な口調で死を語る桐子を冷血漢のように感じるかもしれませんが、
患者の苦しさや辛さを感じ取った時、桐子は天を見上げて静かに涙を流します。
患者にとってどうすることが幸せな選択なのかを第一に考える、桐子は「名医」だと私も思います。
以上、今回は、第一章「とある会社員の死」の部分だけ触れました。
この本には他に、
- 第二章「とある大学生の死」
- 第三章「とある医者の死」
の2編が収められています。
第一章の内容を見て、気になった方はぜひ読んでみてください。
また、この作品続編にあたる『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』があります。
こちらもオススメです。ぜひ一度手に取ってみてください。
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