おじさんの本棚 第14回 『ボクたちはみんな大人になれなかった』燃え殻

読書

おじさんの本棚から取り上げる14冊目の本は、
燃え殻さんの 『ボクたちはみんな大人になれなかった』です。

この本を読んだのは、2019年夏で、手持ちの文庫本には夏フェア限定のキラカバーがかかっています。

この作品は元々Webの連載小説だったものを、一冊にまとめたもののようです。

「何者にもなれない」そんな閉塞感と焦燥に呑み込まれそうになりながら、懸命に生きた時代。
その中でみつけた、唯一の「安らぎ」

ラッシュアワーの電車でたまたま開いたFacebookに表示された、「知り合いかも?」の画面がボクをあの頃に引き戻す。

それは人生でたった一人、ボクが自分より好きになったひとの名前だ。気がつけば親指は友達リクエストを送信していて、90年代の渋谷でふたりぼっち、世界の終わりへのカウントダウンを聴いた日々が甦る。彼女だけがボクのことを認めてくれた。本当に大好きだった。過去と現在をSNSがつなぐ、切なさ新時代の大人泣きラブ・ストーリー。あいみょん、相澤いくえによるエッセイ&漫画を収録。

燃え殻著 『ボクたちはみんな大人になれなかった』 裏表紙あらすじより

あらすじ

Facebookの「知り合いかも」

Facebook

ボクは、43歳の「アートディレクター」。

ラッシュアワーの地下鉄内でいつもの習慣で開いたFacebookに、「知り合いかも?」と一人の女性のアイコンが表示された。

それは、かつて「自分よりも好きになってしまった」その人だった。
満員電車の人波に巻き込まれながら、はずみで彼女に「友達リクエスト」を送信してしまったことに気づいた。

久しぶりに目にした彼女の名前は、ボクを20代前半のあの頃に引き戻していった。

「デイリーan」の文通コーナー

20代前半、どこにも居場所のなかったボクは、エクレア工場でアルバイトをしていた。

その休憩室でいつもみていたアルバイト情報誌「デイリーan」の文通コーナーが始まりだった。
「孤独な人間の集う」その文通コーナーがボクは「大好物」だった。

その中に見つけた、ちょっと変わったメッセージ。

この文通コーナーから最初に読む方、ご連絡ください。

東京都中野区の20歳女、犬キャラ

燃え殻 『ボクたちはみんな大人になれなかった』

犬キャラ」というのが、小沢健二のファーストアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」を意味することがわかったボクは、この投稿者に共感を感じ文通を始めることになった

彼女とのデート

何回か手紙のやりとりをして、ボクは勇気を出して彼女をデートに誘う。

何回目かのデートで彼女は、「わたし、かおりって言います」と初めて名前を教えてくれた。

そのデートの翌日、ボクは「デイリーan」で見つけた「テレビ番組の美術制作アシスタント募集」に応募し、エクレア工場をやめる決断をする。

彼女との出会いで「何かを変えなければ」という気持ちが芽生えたのかもしれない。

やがて二人はデートを重ねるようになり、ボクにとって彼女は、初めての「自分より好きな人」になっていった。

新しい仕事も初めから順調なわけではなく、先のわからない「何者にもなれない」感じは無くならない。

「閉塞感」と「不安」はいつもすぐ隣にいた。

そんな時、いつも彼女は「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」と言ってくれた。

友達リクエストの承認

はずみで送信してしまった、彼女への「友達リクエスト」が承認された。

しばらくするとボクのFacebook過去のページに、次々に彼女の「ひどいね」が押されていく。

それらは全て、有名人や、業界関係者との写真や動画で、仕事上の付き合いで撮った「ボクらしくない」ものたちだった。

ダサいことが嫌いだった彼女らしいと、彼女の健在ぶりに口元が緩んだ。

一つだけ「いいね!」が押されたのは、14年前に作成したラフォーレ原宿のイベントポスターの前で仲間と一緒に撮った写真だった。

やはり、彼女はボクの理解者だった。

「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」
どんな電話でも最後の言葉は、それだった。彼女は、学歴もない、手に職もない、ただの使いっぱしり、社会の数にもカウントされていなかったボクを承認してくれた人だった。あの時、彼女に毎日をフォローされ、生きることを承認されることで、僕は生きがいを感じることができたんだ。いや今日まで、彼女からもらったその生きがいで、ボクは頑張っても微動だにしない日常を、この東京で頑張ってこられた。

燃え殻著 『ボクたちはみんな大人になれなかった』

Facebookで現在の彼女と偶然繋がったのは、最後のデートで伝えられなかった言葉を、
彼女に伝えるためだったのかもしれない。

読後感

この物語を読んで、若い頃に漠然とした不安感を感じていたことを思い出しました。

自分はこの先一体どうなっていくのか?何者にもなれていない自分に感じていた頼りなさ。

人は、誰かに「そのままで良い、ここに居ていいんだよ」と承認して欲しいものなのかもしれません。

以前、おじさんの本棚の11冊目に取り上げた『また同じ夢をみていた』の登場人物、「南さん」は幸せとは何かという問への答えとして、

自分がここにいていいって、認めてもらえることだ

『また同じ夢を見ていた』 住野よる

という答えを見つけました。

南さんもやはり「自分はここに居てはいけないのでは?」と感じていたのかもしれません。

20代前半で、自分が「社会の数にもカウントされていない」と感じていた「ボク」に、
彼女「かおり」はいつも言ってくれました。

キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」彼女がそう言ってくれることで、「ボク」は「ここに居ていいんだ」と思うことができたのだと思います。

そんな彼女だったからこそ、ボクにとって最初で最後の「自分より好きな人」になったのでしょう。

それなのに、なんの前触れもなく突然、彼女は「ボク」の元を去ってしまいました。
それはきっと、彼女なりの「やさしさ」だったのかもしれません。

彼女が与えてくれた承認によって、「ボク」は社会に疎外感を感じながらも懸命に生きてくることができました。

偶然に繋がったFacebookは、彼女に伝えられなかった「さよなら」言うために時空を超えてきたのかもしれません。

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