おじさんの本棚 第20回『余命10年』 小坂流加

読書

おじさんの本棚から取り上げる20冊目の本は、
小坂流加さんの『余命10年』です。

前回、同じ小坂流加さんの『生きてさえいれば』を取り上げましたが、やはりこの『余命10年』も外すことはできないと思いました。

記念すべき20冊目の本にふさわしい作品だと思います。

死ぬ前って、もっとワガママできると思ってた。
二十歳の茉莉は、数万人に一人という不治の病にかかり、余命が10年であることを知る。
笑顔でいなければ周りが追いつめられる。

何かを始めても志半ばで諦めなくてはならない。
未来に対する諦めから死への恐怖は薄れ、淡々とした日々を過ごしていく。
そして、なんとなく始めた趣味に情熱を注ぎ、恋はしないと心に決める茉莉だったが……。
衝撃の結末、涙よりせつないラブストーリー。

「死ぬ準備はできた。だからあとは精一杯生きてみるよ』

Amazon あらすじより

あらすじ

余命10年

二十歳の茉莉にとって、それはまさに「青天の霹靂」だった。

その日、茉莉は医師から「今まで聞いたこともない病名」を告げられた。

院内のインターネットで調べたその病気の情報は、
余命10年。それ以上生きた人はいない」というものだった。

ほとんどの人が知らないと思ったその病名を、茉莉の父だけは知っていた。

父方の祖母が同じ病で、若くして亡くなっていたからだ。

どうやらその病気は遺伝性のもののようだが、その発症率は、「宝くじに当選するよりも低い確率」だという。

町内会の福引にさえ当たったことのない自分が、どうしてこれには当選したのだろう。親族に遺伝することもあるというけれど、年齢の近いいとこや親せきは何人もいる。どうして私だけに遺伝したのだろう。茉莉は目にしたデータの前でしばらく呆然とした時を過ごした。

初めての発作に襲われてからは、徐々に体が病に蝕まれていく恐怖が現実になった。

そして同年代の友人たちとは、全く別の生き方を強いられることになってしまう。

退院〜22歳の春 余命8年

それでも茉莉は、闘病生活に耐えて、22歳の春に退院することができた。

ただし、病気が完治したわけではない。

いつ発作が起こるかわからないので、自宅療養でも安静に過ごす必要がある。

食事制限もあるし、投薬の量も増えた。

それでも退院できたことは茉莉にとって救いだった。

そして茉莉は、一つ心に決めたことがあった。

病気になってからどれだけ家族を泣かせただろう。もう二度と誰も泣かせたくはない。だからもう、自分も泣かない。
これからの新しい生活で何が起ころうと、もう家族を泣かせない。半分途方に暮れながら、もう半分で茉莉は自分への叱咤を続けた。

そんな茉莉の家族への懺悔の独白は、まるで慟哭のよう。

お父さん、ごめんなさい。
成人式の振袖着られなくて。

お母さん、ごめんなさい。
何一つ期待に添えないことばかりで。

桔梗ちゃん、ごめんなさい。
優しくしないでって、時々思う情けない妹で。

ごめんなさい。
誰より遅く生まれたのに、誰より早く死んでしまって。
残りはあと、8年。

オタク友達

退院して3ヶ月。
中学時代の同級生「沙苗」との長電話が茉莉の夜の楽しみになっていた。

ある日沙苗に誘われて、「オタクの聖地アキバ」につれて行かれた茉莉は、沙苗の影響でオタクの世界に導かれていく。

沙苗と茉莉の共通点は「アニメ好き」なこと。

沙苗はそこから「コスプレ」に進み、同人誌も発行する「コスプレイヤー」としてレイヤー仲間では結構な有名人だった。

そして、もともと絵を描くことが好きだった茉莉も、その世界に惹かれていく。

オタクの世界は、茉莉にただ漫然と余命を生きるのではない「楽しいこと」を見せてくれた。

楽しいってこういうこと。したいことをしている感覚。誰にも流されない感触。
単純で笑っちゃう。でも笑うことって大事。笑えることって必須。楽しいって人生の基盤。
人生楽しんだ者勝ちだもの!

茉莉は、「自分だけの解放区を、やっと見つけた気がした。」

同人誌デビュー

茉莉は、沙苗に進められて初めての同人誌を描き上げた。

茉莉の描く絵は好評で、イベントの常連になる。

ネット上にイラストサイトも開設した。

同人誌が好調なことで周囲に薦められて、茉莉はオリジナル作品を出版社に持ち込むことにした。

だがその結果は、茉莉に挫折感をもたらすものだった。

欲しかったのは、胸を張ってわたしはここにいるんだと社会に叫べる場所。路肩で車の流れを眺めているんじゃなく、路上に出てみたかった。一度でいいから中に入ってみたかった。

そんな想いすら叶えられなかった。

同窓会〜カズくんのボタン

小学校時代の同級生「美幸」に誘われて、茉莉は同窓会に参加することになった。

美幸とは中学から別々になったので、茉莉の病気のことを彼女は知らない。

茉莉も自分の病気のことはあえて触れずにいた。

10年以上経っての再会した同級生のひとりに「真部和人」がいた。

和人には、小学生時代の茉莉との思い出があった。

「茉莉ちゃん、すごく器用だったよ」
「カズくんも覚えてるの?」
「覚えてるよ」
「家庭科のバッグ?」
「違う。俺のシャツのボタン」

(中略)

「俺の小学校時代の一番の思い出なんだけどなぁ」
「そうなの?」
「そう。俺のシャツのボタンが取れかけてるの、茉莉ちゃんが見つけて縫ってくれたんだ。こう、着たままで胸んとこのボタン、あんなに女の子と顔近づけたの初めてだったから、ドキドキした」

同窓会の帰り、茉莉を送ることになった和人は、翌日一緒に小学校に行こうと誘った。

茉莉は、その「明日が楽しみになってしまった。

図画工作室の「相合傘」

小学校の校舎に忍び込んだ和人は、茉莉を図画工作室につれて行った。

そのベニア板を積まれた棚の奥には、『マツリ』の横に『和人』と名前が彫ってあった。

『マツリ』は、小学生の頃クラブ終わりの誰もいない時に茉莉本人が刻んだもの。

それを見つけた和人が、その横に『和人』と刻んだ。

その理由を和人は茉莉に告げる。

「俺のボタン、縫ってくれたのが嬉しかった。あの日が俺の初恋。俺は茉莉ちゃんが好きだったんだよ」

無邪気な子供のように目を細めて和人は優しく告げた。

「だから茉莉ちゃんの秘密の隣の席にいたかったんだ。2年間一度も隣の席になれなかったし、5年生になったらクラス分かれちゃったし。でも俺、卒業するまでずっと茉莉ちゃんが好きだった」

二人の名前の間には、誰かがマジックで「相合傘」を書き足していた。

二人はそれを彫刻刀で刻み直し、茉莉はそこにハートマークを掘り加えた。

10年以上の時を超えて、和人の初恋が動き出した。

茉莉も和人の気持ちを嬉しく思った。

もう諦めていた「恋」だったが、茉莉にもまた恋が始まった。

だが、それは同時に忘れようとしていた「生への執着」を思い出させるものでもあった。

死ぬことだけが安息だったわたしをあなたが生きさせてくれた。

だからわたしは死ぬことが怖くなったの。

死んでしまうことが怖い。

だからこそわたしは、自分が生きていることを実感できたんだよ。

和人ーありがとう

和人は茉莉に、残された時間を生きる希望を与えた。

しかし同時に茉莉は、自身の残り数年の人生に和人を巻き込んではいけないとも思うのだった。

読後感

不治の病に冒された余命わずかな主人公とのラブストーリーというのは、今までもいくつかあったと思います。

最初タイトルの「余命10年」をみて、そのようなよくある悲恋の物語かと思いました。

しかし一読して、この物語には他の作品とは少し違う、胸をえぐるような感覚を覚えました。

あとがきで知ったのですが、この作者はこの小説が世に出た時には、すでに他界されていたということです。

実際に余命宣告された中で紡ぎ出された物語には、作者の「生への祈り」が通底しているように私は感じました。

「底辺を低い音で流れているように」物語全体に作者の思いが感じられます。

それが、他の作品にはないリアリティのようなものを感じさせるのではないでしょうか?

作者は、読者である私たちに問いかけます。

あと10年しか生きられないとしたら、あなたは何をしますか。

長いと思い悠然と構えられますか。短いと思い駆け出しますか。

あと10年しか生きられないと宣告されたならば、あなたは次の瞬間、何をしますか。

死は、すべての人に平等に訪れます。

誰一人として免れたものはありません。

それでも私たちは、なんとなく「自分はまだ死なない」と思っています。

けれど明日を、今日と同じように生きて迎えられるという保証は、実はどこにもないのです。

だからこそ、私たちは今日という日を、今この瞬間を精一杯大切に生きることを忘れてはいけないのです。

それが、私がこの物語から受け取った「小坂流加」さんからのメッセージだと思っています。

あなたは、「今」を大切に生きていますか?

この小説は、2022年に「小松菜奈」さんの主演で映画化されましたね。

Amazon prime video でレンタルで見ることができます。

DVDも発売されていますね。

個人的には、小松菜奈さんイメージがピッタリくるので、映画も観たいと思います。

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