おじさんの本棚から取り上げる12冊目の本は、
湯本香樹実 『夏の庭』です。
今回もテーマを「夏」しばりで取り上げてみました。
この本は2001年の「新潮文庫の100冊」で出会った本です。
文庫の帯を見て「20年前なんだ〜」と何か懐かしいような感じがしました。
町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。夏休みを迎え、ぼくらの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ____。いつしか少年たちの「観察」は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが……。喪われ逝くものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く斬新な物語。
湯本香樹実 『夏の庭』 文庫裏表紙あらすじより
夏の「新潮文庫の100冊」だからか夏に読むのにふさわしい作品です。
それでは、いつものように簡単なあらすじから「夏の庭」に入っていきましょう。
あらすじ
好奇心
ぼく(木山)は小学6年生。でぶの山下とメガネの河辺の3人でいつもつるんでいる。
山下がおばあさんの葬式のために学校を休んだことをきっかけに、河辺は「死んだ人」を見ることに好奇心を持った。
「人は死んだらどうなるか」という3人の好奇心は、町外れに一人で暮らしている老人へと向かう。
きっかけは、河辺が耳にした大人たちの「その老人がまもなく死んでしまうのでは」という噂話だった。
老人を見張っていれば、そのうちに「おじいさんが一人で死ぬとき」を発見できるはずだと考えた河辺は、ぼくと木下を巻き込む。
そして、3人の「観察」が始まった。
観察
おじいさんの家は、
まるで手入れというものがされていないようだった。外壁の板は半分はがれて風にぱたんぱたんと揺れているし、割れた窓ガラスはガムテープで新聞紙を貼り付けただけだ。なんだかわけのわからないガラクタやら、もう何年も使われていないらしく雨水のたまった漬物桶やら、新聞紙の束やら、ゴミ袋なんかが、ずらりと家をとりかこんでいる。
湯本香樹実 『夏の庭』より
と荒れ果てた状態で、家の中の様子も老人が生きているのかどうかも怪しい状態だった。
それでも時々老人は、弁当などを買いに近所のコンビニに出かける。
その様子を観察するのが3人の日課になった。
接近遭遇
ある日、庭に山積みされたゴミ袋を、3人が「ゴミ出し」しようとしていたところを老人に見咎められてしまう。
ぼくはただ、「見張り」の時にゴミくさいのが嫌だからという理由からゴミ出しをしようとしたのだが、老人から猜疑の目で見られてしまう。
疑いの目で見られたことを心外に思った3人は、意地になって堂々と老人の「尾行」のような「見張り」を続けた。
その老人との意地の張り合いは、やがて少しずつ「交流」に変化していった。
そして、3人との関わりの中で、老人は次第に元気になり、健全な生活を取り戻していく。
おじいさんとの共同作業
すっかり元気になった「おじいさん」は、3人に家の手伝いをさせ始める。
ゴミ出しから始まったそれは、洗濯物干し、家の修繕と外壁のペンキ塗りまで。
3人は「なんか俺たちいいように使われてないか」と文句を言いながらも、だんだん手伝いが楽しくなっていく。
すっかり、親しくなった3人と「おじいさん」は作業が終わると一緒にスイカを食べるような仲になった。
ゴミ袋も、生い茂っていた雑草も無くなった庭一面に、3人はコスモスのタネを巻いた。
種屋のお婆さんが、庭一面にタネを撒くのならコスコスが良いと勧めてくれたものだ。
3人と「おじいさん」は秋になって庭一面にコスモスが咲く光景を思った。
おじいさんの過去
ある日ぼくは、「戦争に行ったこと、ある?」とおじいさんに聞いてみた。
「あるよ」と答えたおじいさんの告白は、「戦争が人々にもたらす悲惨」を教えてくれるものだった。
その悲惨な体験のせいで、自分には普通の幸せな結婚生活をおくる資格が無いと思うようになった。
それが、おじいさんが奥さんと別れた理由だった。
戦地から帰還したことも、自身の生死も知らせることもなく、おじいさんは奥さんの前から姿を消したのだ。
戦地からは生きて帰還することができた。
しかし、戦争で負った心の傷はおじいさんを長年にわたって苛み続けた。
たったひとりで、「生ける屍」のように暮らしていたのもそのせいだったのかもしれない。
突然のお別れ
サッカーの夏合宿から帰ってきた3人は、お土産を持って久しぶりにおじいさんの家に来た。
「おじいさんが、何してるか」賭けようぜと河辺が言うと、
山下は「昼寝」、河辺が「風呂掃除」、そしてぼくは「爪切り」に賭けた。
網戸越しに中をのぞくと、布団の上におじいさんは横たわり、薄い夏がけをかけたおなかの上で両手をゆったりと結んでいる。
湯本香樹実 『夏の庭』より
「おれの勝ち……」そろそろと網戸を開けながら、山下がささやいた。でも次の瞬間、ぼくたちは同時に気づいていた。奇妙なくらいはっきりと、体の奥で感じとっていたのだ。眠っているんじゃない。
おぜんの上には、3人と一緒に食べようと思ったのだろう「四房のぶどう」が鉢にもられて、甘い香りを漂わせていた。
お別れは、あまりにも唐突に訪れた。
読後感
始まりは、「人は死んだらどうなるか?」という少年たちの好奇心でした。
その好奇心の対象を「おじいさん」に向けて観察を続けた3人が、おじいさんの人柄をしり、過去を知る中でだんだんと親しくなっていく様が、少年たちのひと夏の経験としてとても生き生きと描かれていると思います。
仲良くなってみると少しいたずら好きなおじいさんが、3人の少年たちと関わるのが楽しくなっていく様がなんとも微笑ましく、かわいい感じすらします。
3人の少年たちも、ただ好奇心の強い悪戯坊主ではなく、優しい心根を持った良い子たちです。
ゴミ袋も雑草も無くなってきれいになった庭に「コスモスの種」を撒き、水やりをするシーンはとても美しいです。
ホースの角度をちょっと変えると、縁側からも小さな虹を見ることができた。太陽の光の七つの色。それはいつもは見えないけれど、たったひと筋の水の流れによって姿を現す。光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ。
湯本香樹実 『夏の庭』
そして、おじいさんがお別れ前に用意してくれた「四房のぶどう」。
少年たちがサッカーの夏合宿に行っている間、おじいさんは少し寂しかったのでしょうか?
合宿から帰ってきた3人が遊びに来ることを楽しみにしながら、ぶどうを洗って、鉢に盛るおじいさんのうれしそうな姿が目に浮かぶようです。
せめて、4人で一緒にぶどうを食べた後で「お迎え」に来てくれれば良いのにと、神様にクレームを言いたくなります。
3人も同じ気持ちだったのかもしれません。
優しい「ぼく」は、おじいさんにぶどうを食べさせてあげます。
ぼくはぶどうを、おじいさんのくちびるにそっと押し当てた。果実の汁が、おじいさんのこわばったくちびるをほどいてくれることを期待して。
何か言ってよ。なんでもいいから、何か言ってよ。ひと言でも何か言ってくれたら、ぼくは一生、おじいさんの奴隷になってもいいよ。草とりだってする。アンマだってする。毎日ゴミを出して、洗濯だってする。お刺身だって、毎日食べさせてあげる。だから、まだ行っちゃいやだよ……。
でも、何も聞こえなかった。その時、ぼくは初めて泣いた。
湯本香樹実 『夏の庭』より
少年たちは、その夏初めて、身近な大切な人とのお別れを知りました。
おじいさんは逝ってしまったけれど、少年たちの心には大切なものが残り続けるのだろうと思います。
後から知ったのですが、この作品は実写化されていてDVDが発売されているようです。
なんと、あの三國連太郎さんが主演をされていたのですね。知りませんでした;
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