おじさんの本棚から紹介する28冊目の本は、
町田その子さんの『星を掬う』です。
幼い頃に、離れ離れになってしまった母と娘の物語です。
彼女達「母娘」が幸せだったあの日に、戻ることはできるのでしょうか?
辛かった哀しかった寂しかった。
Amazon紹介文より
痛みを理由にするのって、楽だった。
でも……。
千鶴が夫から逃げるために向かった「さざめきハイツ」には、自分を捨てた母・聖子がいた。
他の同居人は、娘に捨てられた彩子と、聖子を「母」と呼び慕う恵真。
「普通」の母娘の関係を築けなかった四人の共同生活は、思わぬ気づきと変化を迎えーー。
あらすじ
不幸の始まり
芳野千鶴は、「自分は母親に捨てられた」という負い目をずっと背負ってきました。
そのため、誰からも愛されないと、ひっそり目立たないように暮らしてきたのです。
唯一の肉親の祖母が亡くなってからは、ひとりでした。
そんな千鶴を見染めてくれたのが、「弥一」です。
弥一は、一見千鶴とは対極の
「仕事はできるし、向上心もある」「性格は明るくて、人に好かれる」
ただただ眩しい存在でした。
そんな彼が言ってくれました。
君は控えめだし、男を立ててくれそうだな、って。実はおれ、内助の功って言葉が好きなんだ。昭和の男みたいなこと言ってる自覚は、あるんだけど。
その一言は、千鶴にとって、十分すぎるくらい幸せな一言でした。
自分の欠点を美点として見出してくれる人が現れたことに、千鶴は感動さえしたのです。
しかし、そんな幸せは長くは続きませんでした。
弥一は、「何か、でかいことをやる」と、いい加減な儲け話に次々と手を出し、ことごとく失敗します。
失敗するたび借金を重ね、融資してくれるところもなくなり、金策に困ると、弥一の本性が現れ始めたのです。
堅実な暮らしをしようと持ち出した千鶴に向かって、
「お前、おれに口答えしていいと思ってんのか」と暴力を振るい始めます。
それからは、クズ男の見本のようでした。
千鶴が稼いだお金を全て取り上げ、気に食わないと暴力を振るう。
結婚生活に限界を感じた千鶴が、離婚を願うと、今までの借金を全て精算したら別れてやるという始末。
どうにか離婚できても、金に困ると千鶴の元にやってきて、生活費も全て巻き上げるようになります。
それに従わないと、暴力で支配しようとします。
千鶴は勤めているパン工場の休憩室に置かれている「従業員用のパン」でなんとか生きているような状況でした。
思い出の値段
千鶴が明日の生活費にも困っているとき、工場の休憩室で耳にしたラジオ番組の企画。
「あなたの思い出、売ってみませんか?」
リスナーから投稿された「思い出」の中から、SNSの人気投票で上位入賞のものを番組が買い取るというのです。
いくらかでもお金になればと、千鶴も思い出を投稿しました。
その結果、
今回は当番組の企画にご応募くださって、ありがとうございます。芳野さんの思い出は見事入賞、準優勝となりました
とラジオ局から連絡がきたのです。
千鶴が、番組に投稿した思い出とは、
小学一年生の夏休み、母と二人だけで一ヶ月ほど旅をした思い出でした。
その旅の間、まるで生まれ変わったかのように生き生きと過ごす母と、それまでで一番楽しい日々を過ごしました。
そして、その旅の終わり、
母は、千鶴の元を去って、二度と戻ってきませんでした。
最高に楽しくて、幸せだった直後の、最も哀しい思い出です。
準優勝の、その思い出についた値段は「5万円」でした。
さざめきハイツでの再会
千鶴の思い出がオンエアーされると、それを聞いていたリスナーの一人から番組あてに問い合わせがありました。
準優勝の思い出を投稿されたのは、千鶴さんではないですか?
そして、その人は、思い出の母親は「聖子」さんだと思うと伝えたらしいのです。
(聖子というのは、千鶴の母の名前でした)
千鶴は、母親からの問い合わせかと一瞬思いましたが、
問い合わせしたのは、「聖子さんと長く同居している、若い女性」だということでした。
その女性が「恵真」さんでした。
恵真は、千鶴に「聖子さん(ママ)に会って欲しい」と伝えます。
そして、初回の打ち合わせの席で、千鶴がひどいDV被害を受けていることを恵真は知りました。
その被害から逃れるためにも、母・聖子が暮らす「さざめきハイツ」に来るように恵真は勧めます。
こうして、千鶴は、母と再会し、恵真たちと一緒に暮らすことになりました。
けれど、子供の頃に母に捨てられた心の傷を抱える千鶴と、長年罪の意識を抱えながら暮らしてきた母の溝は簡単には埋まりません。
母に残された時間の中で、二人はその溝を埋めることができるでしょうか?
読後感
負のスパイラルという言葉があります。
物語の冒頭、母に「捨てられた」千鶴の人生は、まさに負のスパイラルのようです。
母との旅の終わりの後は、父親と祖母と暮らすことになりました。
けれど、父親は数年後に病で亡くなり、財産の大半を高額な治療費で失ってしまいます。
なんとか残った屋敷で祖母と二人の暮らしは、「爪に火を灯すような」質素なものでした。
そんな祖母も、千鶴が高校を卒業した年の夏に亡くなったのです。
そして、「弥一」と出会い、DV被害のどん底を味わいます。
そんな辛い時期を過ごした後の、母との再会は、決して穏やかものではありませんでした。
母親に「捨てられなければ」普通に幸せな暮らしをできたかもしれない。
母娘であっても、いやだからこそ、分かりあうために遠回りしてしまうこともあるのかもしれません。
娘を捨てた母にも、やはりそうしなければならなかった事情があったのです。
母・聖子は、長年ある「呪縛」に囚われてきました。
そこからの解放が、あの夏の一ヶ月間の旅だったのです。
その旅の終わりに、母は気づきました。
あの子の幸福は、私の幸福と同時には成り立たない。私はいつか、あの子を私のしあわせの為に歪ませてしまう。
(中略)そんなのは、嫌だ。私はこの子を歪めたくない。
母は、自信が「呪縛をかける」側にならないように、娘を捨てることを選んだのです。
けれど、私は母・聖子のその判断は必ずしも正しかったとはいえないと思います。
その選択は、千鶴に結果的に別の「呪縛」をかけてしまったと思うからです。
例え「歪められる」ようなことがあったとしても、母親が必要な時期に一緒に暮らせることを、幼い千鶴は望んだのではないでしょうか?
母を求める娘の気持ちに応えることの方が、本当は大切だったのかもしれません。
随分、遠回りしたかもしれません。
それでも、きっと母娘は分かり合えます。
物語の最後で、千鶴が母に話しかけます
ねえ、お母さん。いつか、あの夏の続きをしようよ
「星を掬う」という言葉に込められた意味を知ったとき、
私は、涙してしまいました。
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