おじさんの本棚 第3回 『風の歌を聴け』村上春樹

song_of_wind 読書

おじさんの本棚から紹介する、3冊目の本は迷いに迷った結果、
村上春樹のデビュー作風の歌を聴け』にしました。

この作品は前回までで取り上げた中学時代に読んだものよりも結構後、
大学生の時に読んだものです。

3回目にして、難易度の高い作品を取り上げてしまったなと自分でも思うのですが、
巷でも「難解な作品」という感想が多いようです。

ただ私は、この作品を最初に読んだ時からそのストーリーの難解さに手こずりながらも、
村上春樹の独特な文体やセリフの言い回し、作品全体に流れる「雰囲気」のようなものに魅せられてしまいました。

世間には「ハルキスト」と呼ばれる、村上春樹のコアなファンが存在しますが、彼らも似たようなことを言っていたように思います。

彼らの中には、何かあると村上作品に流れるその独特な「雰囲気」にどっぷり浸かりたい衝動に駆られるという人もいると聞きます。

それが重症になると「依存症」のように定期的に取り入れないと気が済まなくなるようです(笑)。

私自身、「ハルキスト」を名乗らせてもらうレベルではありませんが、
大学時代には文庫作品は全て読み終え、長編の新作が出る時は発売日に購入するということを今日まで続けています。

村上春樹の小説が好きだ、と知人などに何気なく漏らすと「あー『ノルウェイの森』を書いた人ね」と良く言われます。

そんな時、「村上春樹の代表作って、それだけじゃないと思うけど。個人的には・・・。」と心の中で呟きます。

村上春樹好きのあなた、これって結構「あるある」じゃないですか?(笑)

あらすじ

この小説くらい「あらすじ」が書きにくい作品ってないのでは?
というくらい概略をまとめるのが難しいです。

何か明確なストーリーがあるようでないような・・・。
難解だと言われるのもそのあたりに要因があるのではないでしょうか?

「僕」と「鼠」とジェイズ・バー

この物語は主人公の「僕」が大学の夏休みを利用して帰省した、
1970年8月8日から18日間の出来事を綴ったものである。

「僕」はその夏の18日間を特にすることもなく、主に友人の「鼠」と行きつけの「ジェイズ・バー」でビールを飲みながら語り合うことで過ごしていく。

例えば、「鼠」は「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」と憂鬱そうにどなってみたり。
金持ちの何が嫌いかについて語り合ったりする。

そのような会話は、作者独自の言い回しや、レトリックにより独特の空気感を生んでいる。

それは、「鼠」以外の登場人物でも同様で、村上作品独特のリズム感や雰囲気を感じることができる。

そんなある日、「僕」はジェイズ・バーの洗面所で酔いつぶれている女性を「拾う」。

仕方なく、彼女の家まで送り届けるが、急性アルコール中毒の心配がないか見守るうちに寝入ってしまい朝を迎える。

目覚めた彼女は、泥酔していたので昨晩の記憶が無く、見知らぬ男がいることに対して詰問口調で問いかける。

「僕」はその質問に「うんざり」した気分で答えながらも、
彼女は僕を少しばかり懐かしい気分にさせた。古い昔の何かだ。」と感じていた。

「古い昔の何か」とは・・・。気になる心理描写。

僕と寝た3番目の「女の子」の思い出

21歳の「僕」は今まで3人の「女の子」と寝た。

そのうち三番目の「女の子」について僕は語る。
彼女は、
「大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。

そして、
何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕は思う。

その三番目の「女の子」のことが、今でも「僕」の心の深い底に澱のように沈んでいる。

火星の井戸

物語の中で数度、「デレク・ハートフィールド」という作家のエピソードが挿入される。

彼の作品の一つ「火星の井戸」の内容について記載されるのだが、
それは、火星の地表に無数に掘られた底なしの井戸に潜った青年の話である。

「底なしの井戸」・・・。ここにものちの作品につながるメタファーが。

左手の小指のない女の子

ジェイズ・バーで酔いつぶれていた「左手の小指のない」女性とは、その後誤解も解け親しくなった。

1週間ほどの旅行に出かけると言っていた彼女から帰ったので会いたいと連絡がある。

再会すると、彼女は旅行というのは嘘だったと言い、実は中絶したことを告げる。

彼女は、相手のことは「すっかり忘れちゃったちゃったわ。顔も思い出せないのよ。」と言う。

そして、「ずっと何年も前から、いろんなことがうまくいかなくなったの。」と告白する。

おそらく彼女は心を病んでいる。それが、「僕」の過去の出来事と共振する

そうした日々を過ごすうち、18日間が過ぎ去り「僕」は夜行バスで東京に戻ることになる。

夜行バスのシートについた「僕」は、

あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。

僕たちはそんな風にして生きている。

『風の歌を聴け』村上春樹

そう、ひとり心の中でつぶやく。

大学生 ケン青年の読後感

すべては、僕の上を「風」のように通り過ぎる。そし僕の手元には喪失だけが残る。

大阪の大学に入学して一人暮らしをしていたケン青年は、夏休みになるとアルバイトも休みをとって夏休み中のほとんどを実家で過ごしていました。

実家に帰った方が金がかからないという単純な理由です。

大学の仲間とも離れ、かといって高校時代の友人に「帰省したので会おう」とか声をかけるのも面倒で、ただひたすら時間を持て余していました。

そんな中、出会ったのがこの「風の歌を聴け」でした。

することもないので、公営プールのプールサイドに日陰を見つけて、ビーチチェアに寝そべりながら読んだのを覚えています。

そんなの物憂い午後にこの作品はぴったりマッチしたように感じます。

「鼠」は何を悩んでいたのか?
「三番目の女の子」は何故、死を選んだのか?
「左手の小指のない彼女」は、「僕」のことをどう思っているのか?

読みながら、いろいろな想いが錯綜する中で、なんだか不思議な感じのする作品だと思いました。

物語を通して流れるのは、「すべては、通り過ぎて行く」という漠然とした喪失感

それが、当時のケン青年がなんとなく感じていた「何か」にシンクロしたのだと思います。

やがて、村上春樹作品を読み進めていく中で、このデビュー作にはのちの作品につながるものがいくつか散りばめてあると思うようになりました。

「三番目の女の子」は、「ノルウェイの森」に、
「井戸」のイメージはいくつかの作品に登場しますが、代表的なのは「ねじまき鳥クロニクル」でしょうか? 

「井戸」=「イド(id)」?

風の歌を聴け』は「鼠三部作」の一つとされますが、その中で村上春樹作品が初めてという方には、
羊をめぐる冒険』がとっつきやすいと思います。



最後に一言、村上春樹ファンに「村上春樹の作品で一番好きなのはどれですか?」という質問は、
やめておくことをお勧めします。

いろいろ、面倒くさいことになる可能性が高いので・・・(笑)。

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